オルガニスト楽屋話

第102話  癒しの音楽 ---2009.4.10.

ミッション・スクールで学んだ友人が、キリスト教に子供の頃から慣れ親しんできたけれど、 最近仏教に関心を持ち惹かれ、本を読んだり講話を聞いたりして勉強していると言うのです。私に薦めてくれたのは高田好胤、安田暎胤、松原泰道、 ダライ・ラマなどの本で、早速読んでみることに。臨済宗、法相宗、チベット仏教、、  クリスチャンである私にとっても、他宗教の教えは大変興味深いものでした。 風土や環境が身近なせいか確かに仏教の教えはすんなりと入り、馴染みやすいし、身近に受けとめやすいです。 素晴らしい教え、考え方だと共鳴すること、たくさんありました。 しかし読んでいるうちに、聖書の中にも似ている意味の聖句がある、また同じことをいってる、同じ教えではないか、と思うことに多々遭遇。 愛、慈しみ、感謝・・同じです。どの宗教ということより、 信仰すること、信仰心を持つことが大切ではないかと思うのでした。

祖父母のお墓はお寺にあります。法事の折に聞くお経はなんとも安らぎ、心地よい響きであり、心静まります。このお経にどこか似ているのが教会に響くオルガン ではないでしょうか。人の気持ちを 決して束縛はしない、でも疲れている人の心にはやすらぎを与え、慰め、希望、勇気を与えてくれます。 風を送り笛が鳴っているのですが、人の息遣いにも似た人間的な音色です。オルガンはキリスト教と深い結びつきがある楽器、そのせいかほかの楽器にはないような 心にそっと寄り添い、心、気持ちを支え、力づけてくれるような力があります。 いま100年に一度の大不況と言われる厳しい時代、人々の心も疲れていることでしょう。こうした時にこそ、人の心を慰められるような音楽、癒しの音楽を 届けていくのが私たちオルガニストの務めでもあると思うのです。音楽の力であり、それがオルガンにひめられた魅力でもあります。

春休みは今年もカウアイ島で、青空の下、美味しい空気を吸い、 風の音、波の音を聞きながら、ゆったりと流れる時間の中で、地元でとれる食材で自炊したりして、 ロコの生活を楽しんできました。 毎日シャワーが降りますが、空気が汚れていないせいでしょうか、 天から降ってくる雨はピュアなきれいな水、まさに恵の雨です。緑豊かなのもその雨のお陰です。 このワイメア渓谷の険しい地形は、長年の多雨によって侵食されて出きたもの。 自然の力は凄いものですね。自然の創り出した迫力ある雄大な創造物を前に深呼吸、 パワーをもらって帰ってきました。

東京は桜が満開という時に、今シーズン最後と長野へ。山の上の天気は雪でした。 スキーや車の運転、私はスピード感の あるものが好きですね。オルガン演奏も敏速な体の動き、スピード感を要求されることも多々あり、 どこか共通しているのかもしれません。

人生は自分でつくるもの。一時一時を大切に、日々の努力、私に与えられたオルガンと信仰を軸に、いつも目標に向かい夢を追い そのためには労をおしまない。仕事に精一杯の努力とエネルギーを傾け、そして余暇は趣味を楽しみ、 人生を楽しく豊かなものにしていきたいな、と。それは自分のためにも、そしてまた人のためにも。 微力ながらですが、音楽をもって世のため人のため力になりたいものと、また桜の季節に思うのです。


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