オルガニスト楽屋話

第227話 シルクロード、中央アジアへのコンサートツアー ---2019.10.1.

「インタナショナル・アート・フェスティバル『日本の秋』にご出演いただけませんか」というメールが来ました。全く知らない人からの突然のメール、 しかもフランス語だったので、良く読まずにゴミ箱へ入れていた私、、。数週間後、今度は英語で「先日メールをお送りしましたが、お返事いただけませんか」と。

読み返してみると、ビックリ!パリのオルガニストであり作曲家のナジ・ハキム氏からの推薦で私に連絡したと書いてあるのです。 ウズペキスタン、キリギスタン、カザフスタン、それぞれの国、3つの街での「日本の秋」音楽祭への出演依頼でした。 中央アジアの人々へ日本の文化を紹介するとともに、日本との文化的な交流、そして多くに方に音楽を楽しんでいただくのが目的であり、 カザフスタンの DEGDAR Foundation 慈善基金の団体とJT日本たばこがスポンサーで、演奏料の他に、全ての移動の費用、宿泊、食事を負担、支払いしますので、 是非いらしてください、という内容でした。

とはいえ、全く未知の国々。国の名前、首都の名前すら知らない。一体、どんな所なの?!慌ててPCで検索、返信、日程調整などに入り、 今回のツアーをお引き受けすることになったという経緯です。

成田空港からアシアナ航空、韓国の仁川インチョン乗り換え、最初の演奏会の地であるウズペキスタンの首都タシュケントへ。 仁川まで2時間半、その後、インチョンから7時間半でタシュケントへ。

さて家を出てから14時間、ようやくタシュケントに到着、夜の8時半。通訳のケネサリーさん(その後、ケンさんと呼ぶ)が出迎えてくれることになっているものの、 イミグレーションを終え、荷物を受け取ってもどこにも姿がない。困ったなと外に出てると、白タクの勧誘の荒らし。訳の分からない言葉で話しかけてくる、。。 ふと30mほど先の柵の向こうを見ると、名前の書かれたプレートを持つおびただしい数の出迎えの人。皆、必死にかざし、手を振ったりして人を探している。 この中から私の名前を探すわけ?!、、わあ、大変、、、、、あった!

そこで今回のツアー最初から最終日まで通訳とコーディネーターとして同行してくれたケンさんと無事会うことが出来、また今回のツアーで共演の、 ノコギリ奏者(ミュージカル・ソーと言うそう、とても美しい音色です!)で、世界グランプリを獲得されているというサキタハヂメさん、ピアノ伴奏者の山下憲治さんと初ご対面。 ドライバーさんが待つミニバンへと案内される。
こうして今回のツアーが始まった訳ですが、常に通訳と移動の車付き、とういうのは有り難かったです。

ドライバーさんは国によって変わるものの、私達3人のミュージッシャンと通訳のケンさんとは1週間ずっと一緒、お笑い芸人のような楽しいお二人、 そして日本語が完璧に出来、説明好きなケンさんはガイドさんのよう、常にお喋りと笑いが絶えないメンバーでした。

途中、夕食を取りながら(早速、ウズペキスタン料理に舌鼓!)、スケジュールの説明を受け、夜の11時、それは日本時刻の深夜2時、 ようやくホテルに到着。ヨーロッパの半分の距離にありながら、便が少ないので乗り継ぎ時間もあり、ヨーロッパへ行くより時間がかかります。 ただ途中でのトランジットは体を動かせ、また自差が4時間というのも体に負担が少なく、翌日早速に午前中リハーサル、夜本番、、というハードスケジュールも難なくこなせました。

これらの国々の宗教はライト・イスラムと言い、厳格にイスラム教徒の生活を守っている人は僅かだそうですが、コンサートは教会ではなくてコンサートホールでの開催でした。 どの街にも立派なコンサートホールがあり、ステージにドイツの製作家によるオルガンがありました。特にタシュケントのオルガン(左上の写真)は、ホールの響きも良く、美しく歌う楽器でした。

演奏会は前半が私のオルガンと、ミュージカル・ソー、後半がウズペキスタン、カザフスタンのプロの民族楽器の演奏グループによる演奏でした。 私は出来るだけ日本の曲を、ということで、武満徹の作品と日本歌曲「からたちの花」と「この道」(山田耕作作曲)をオルガンソロに編曲し、 あとはバッハ、デュヴォアなどを弾きました。
衣装は、「日本の秋」というタイトルに合わせて、何か日本的なものをと考え、私のデザイン、散々煩い注文を付け、祖母の帯を母がリメイクして作ったベストにしました。

タシュケントでは、在ウズぺキスタン日本大使ご夫妻もコンサートにご臨席をいただき、光栄なことでした。そして翌日、私たち日本人アーティスト3人は日本国大使公邸で昼食会に招かれ、 現地の日本たばこ関係者3名と大使と共に昼食会でした。大使館公邸は大きな家が並ぶ閑静な住宅街にあり、プール、滝がある大きなお庭付きの大きく素晴らしい公邸でした。 御作り、焼き物、ウニ、お寿司、などなど和食のコース、ウズぺキスタンでは魚がないので、タイへ買い出しに行くそうで、数日後に日本へ帰る私には申し訳ないようでしたが、 この素晴らしい和食そしてそれに山口の美味しい日本酒、ワインは山梨(キングスウェルを思い出し嬉しくなりました)、、・・ウォッカを飲みなれていらっしゃるせいか、 現地ウズぺキスタン人の方は日本酒をたくさん美味しそうに召し上がっていました。料理人の宮原さんからもご挨拶があり、現地の事情、貴重なお話も伺え、身に余るような経験をさせていただきました。

昼食会後、次の演奏の地、キリギスタンのビシュケクへ。空港へと車を飛ばしました。ここは飛行機移動、大きな国なのですね、 機内からは雪で覆われたヒマラヤ山脈も見え、あとはずっと砂漠でした。

この飛行機移動は簡単に国境も越えられ、楽だったのですが、ビシュケクからアルマティへの移動は大変でした。演奏会が終わったのが夜の9時。 それから夕食をとり、アーティストとスタッフ全員で大きなバスで移動。ちなみにメルセデスの立派なバスでした。途中の国境越えは、 手荷物とスーツケースを取り出し、各自が一度バスから持って降り、歩いて国境のパスポート審査、長い列の順番を待って検査官のチェックを受ける。 深夜12時過ぎ、眠っていた私は起こされ、真っ暗闇の中です。ホテルに着いたのはキリギスタンの時刻では午前2時でしたが、ここには1時間の時差があり、 カザフスタンの現地時刻では午前3時〜。そして翌日、この日は流石に午後からでしたが、リハーサル、本番。ふ〜。

演奏会はいつも満席、満席どころか補助椅子を出し、立っている人も多数(日本では消防法で許されませんが、、)。 特に3公演目ウズペキスタン、アルマティでは会場は大盛り上がり。後で聞いた話ですと座席の1.5倍の人が入場していたそうで、お客様の反応も写真の通り。 ステージに上がった演奏家の我々もですが、会場のお客様全員、同じアジア、近隣に住む我々が言葉は通じなくとも音楽によって心ひとつに出来たことは感動的でした。

移動、リハーサル、本番、そしてテレビ取材、、とぎっしりスケジュールの中でしたが、お食事は口に合わなかったものは一切なし!美味しかったです!! ウズぺキスタン料理、カザフ料理ですが、中華とも違う、トルコ料理とも違う。豚は宗教上の理由で食べないのですが、牛、鳥、羊、が香辛料の効いた煮込み料理や串焼き、 あるいは麺類と一緒に。特にラムは日本で食べるラムと違い、柔らかく匂いも美味しいです。馬肉のソーセージも食べました。様々な種類のチーズ。 揚げパン、クレープ風の薄いパン、ナン、そして中にお肉やカッテージチーズが入ったパン、パンも種類が豊富で美味しかったです。 うどん、きしめんのような麺類もよくあり、炒めてあったり、スープに入っていたり。水餃子のような飲茶も美味しく、 毎食連れて行っていただいた素敵なレストラン、そしてお料理に堪能しました。

街歩きやお買い物が大好きな私ですが、時間もないし、基本的に「何かあったら困るので、一人で出歩かないでください」と、、え〜。しかしながら、そのうち現地に慣れた私は、束の間の時間を利用して脱走〜。 可愛いフェルトの小物、刺繍の美しい民芸品、シルバーと天然石のイヤリング、民族調のバック、お皿などなど、他の地では得られないものをゲット。

ただ、使われている言語は、カザフ語やウズペキスタン語、そしてロシア語。英語は全く通じないです。表記はキリル文字のロシア語、英語表現はなし。 貨幣もスム、テンゲ、ソム・・と3か国違い、レートももちろん違いますから頭はクルクル。バザールなどでは値段表記はなく、すべて交渉。最後のアルマティで、 少し英語とカードが使えましたが、あとは英語は通じず、カードも使えず。

毎日晴天で、日中は真夏の暑さに。ただ乾燥しているので過ごしやすく、朝晩はジャケットや薄手のコートが必要なくらい気温は下がり、 寒暖の差が大きい気候でした。すでに紅葉も始まり、冬の寒さは厳しいそうです。

3つの公演が終わった翌日、飛行機の出発は23:55。朝から出発までの時間、通訳のケンさんが、3200mのヒマラヤ山頂へ案内してくれました。ホテルから車で30分、 道はリンゴ畑(アルマティは、林檎発祥の地だそう)、その後、紅葉の樹木群、さらに白樺の茂る森を抜け、急勾配の山道を登ると世界一標高の高い所にあるスケートリンクが現れ、 そこから電気自動車(環境保護のため、入れるのは電気自動車のみ)のタクシーに乗り換え、ダムを超え、ゴンドラ2つ乗ると、3200mの山頂へ。そこから見渡す氷河、ヒマラヤの山並みは絶景でした。 そこに建つ、遊牧民のテント風ゲルでお茶。靴を脱いで入る可愛いカフェ。民族衣装を着せていただき、フォット!!
するとお店のオーナーの奥様が「昨夜のコンサートに行きました!TVも見ました、嬉しい!!」と。抱き合って喜び、ハグ!!
その後、街中や途中の温泉(温泉もありました)、バザールで出会った人にも「コンサート行きました!」「テレビ見ました!」などと声をかけられ握手、ハグ! オープンで気さくな人柄もわかります。テレビ取材も2回受け、コンサートの様子と共に、ニュース番組で流れたそうです。

帰りも仁川乗り換え。仁川空港で、出発案内に、行きに乗ったタシュケント行きの飛行機が!出来れば戻りたい、また行きたい!と思った私。
近くでありながら遠く、また知られていない中央アジア。出かける前、相当調べましたが、まだまだ情報が少なく、未知の国で感覚的にヨーロッパよりずっと遠く、ホテル、水、、、 沢山の心配を胸に、仁川から旅立った私ですが、心配は全く無用でした。綺麗で快適なホテル、広々としたお部屋は東京のホテル以上。 ビシュケクではお洒落なデザイナーズ・ホテルに。アマルティではヒマラヤが見えるお部屋に、、主催者の気遣いも感じられました。アマルティには、お洒落なカフェが沢山並び、 若者がいっぱいで活気に溢れ、道路は広く綺麗に整備され、公園が多く緑に溢れ、建物も驚くほど立派でした。

音楽を通してアジアの国々と心を繋いだ中央アジア、シルクロードツアー。子供の頃から異国への憧れが強く、こういうことを望んでいた私でした。 それが私が好きで仕事としている音楽、オルガンを通して叶ったこと。こんな素晴らしい経験をさせていただき、感謝です。この恩返しを、何かの形でこれから出来たら、、と思っています。

演奏会風景、短い時間でしたが街の様子、とても口に合った現地のお食事も珍しいので写真の ページにアップしましたので合わせてご覧いただけましたら嬉しいです。

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最終公演、アルマティ(カザフスタン)で
主催者が映してくださった写真です。




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