オルガニスト楽屋話

第25話 私の宝物 ---1999.1.30.

ドイツ留学から帰って間もない頃、<オルガン科講師募集>のニュースが 飛び込みました。日本でオルガン科のある大学は数少なく12校ほど、専門実技の オルガンの講師・・これはめったに無いチャンス。 けれども、私立の音大で公募といっても形式だけで無理よ・・と周囲の声は実に冷たい。 願書は出したものの、演奏実技のオーディション前日夜まで、迷っていた私でした。 その時”無駄でも良いから行ってきなさい”と、机の上にポンと新幹線代を 差し出したのは父でした。

これが人生最後の試験かしら。応募資格の年齢になっていなかった私でしたが 幸運にも合格・・東京の自宅から神戸女学院大学まで、毎週の飛行機通学(?)が始まり、 早いもので10年となります。

毎週水曜日9時45分の飛行機に乗るため、8時40分に我が家を出発。 愛車をとばし約30分で羽田空港に到着、車を駐車場に停め飛行場へ。 45分の飛行時間・・寝過ごす心配がないのが良いところ。 座席は出口にすぐ近い通路側、到着後、一番に飛行機から飛び出しタクシー乗り場へ。 配車係のおじさん達とはもう顔なじみ、”今日は良い天気だね” などと必ず言葉が交わされる、そして大学まで約20分。

それまで<教えられる>立場だった私が、<教える>立場に急に変身出来た 訳ではなく、当初大学の掲示板を見ては、<留学奨学生募集>などに 自然と目が向いてしまう私でした。 今でもオルガンの魅力にひかれ、夢中になっている学生達と、同じ目標を 目指し、自分自身も常に勉強しているという気持ちは少しも変わりません。

20代の若さ、情熱とやる気を持った学生の成長の様子をみるのは楽しい。 基礎のテクニックは確実に、そして私が日頃演奏家として学んできたことを 教えられることは嬉しいもの。私の音楽を知ってもらいたいけれど、 それが押し付けではなく、個人の音楽性が伸ばせるように、そこに私の出来る アドヴァイスを・・音楽だけでなく、人間的な心の交わりも成立してくるのです。

大学生活4年が過ぎ、初歩から教えた学生が一人のオルガニストとして 巣立っていく・・人前での演奏、聴いている私は自分の演奏会以上に緊張、 ”頑張って!”。 聴衆から受ける拍手は自分のこと以上に嬉しく感じ、また演奏する 喜びを感じている姿を目の当たりにすると、感動し、涙ぐむ私です。 自分の成功にはここまで心を動かされることはないのです。

大切な演奏会を間近に控え、本当のところは少しの時間もオルガンを弾いて いたい、自分の練習に時間を使いたい・・こんな時も時にはあります。でも 日頃、不平不満の多い私が<神戸に関してグチを言ったことがない>・・ これが家族、友人に言わせれば<実に不思議なことだ>と言うのです。 お弟子さん達は私の宝物のよう・・そこには私の日常生活、演奏活動からは 得られない、また違ったかけがえのない喜びがあるのです。

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