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先生の下には、世界中から生徒さんが集まり、奥様が日本人(大変お世話になりましたが、7年前に亡くなられました)そして 日本へも度々来日し演奏されていたこともあり、8名〜10名近くの日本人のお弟子さんがいますが、松居さん、今井さんと私は、少しずつ時間はずれて いたものの、3人同時期のこともあった、フライブルクで留学生活を共に過ごした同門下生です。 一緒にドイツ国内だけではなく、スイスやオランダでのセミナーに参加したり、また一緒に食事をしたり、共に学び(お互い勉学への熱は凄かったです)、楽しい時間も共に過ごした同窓生ですが、 帰国してからはお互い忙しく、こうして3人揃うこと、ましてや3人揃ってステージに立つのは初めてでした。しかし、昔の仲間ですね、 思い出話は尽きず、まさに同窓会。
ヴァイオリンを弾くお嬢様の杏仁子さんは、当時はまだ13歳。「練習、練習」とご両親から言われ、何かと理由をつけてはおさぼりしていた 彼女ですが、美しく豊かな響きと音楽を奏でるヴァイオリニストに大きく成長され、当時は全く出来なかった日本語も少し出来るようになり、一段と素敵な杏仁子さんになっていました。 終演後は、フライブルクで学んだ仲間とリリア14階にあるレストランへ。世界的な打楽器奏者で、カールスルーエ教授としてもご活躍の中村功さんもたまたま一時帰国、 藝大同級生でもある彼も加わり、これまた楽しいフライブルク同窓会になりました。
「ヴォルミナ」は指のみならず手のひら、腕、足もつま先、踵のみならず足の裏全体を使って弾く、これが意外に難しく、 先生の技法は超人的でもあり、またお年を重ねた今も以前と変わりない、本当に凄いです。 私はサットマリーマスタ―クラス事務局を担当しつつ、若い受講生に交じって、「銀の響き」を弾きました。先生のレッスン、久しぶり、 学生気分に戻り、新鮮。この曲は、2020年のバッハコンクールの課題曲として委嘱されて書かれた作品。ライプチヒ郊外にあるレータ村にある バッハ当時のオルガン製作家ジルバーマンの製作した楽器で弾くことを想定して作曲されました。それで「ジルバー」ドイツ語で「銀」、 そしてレッスンを受けてわかったのですが、BACHバッハのイニシャル、B(シのフラット)、A(ラ)、C(ド)、H(シ)が曲中に モチーフとして隠れて出てきます。小ぶりのバロックオルガンを想定して作られていて、ストップ指示、時にはストップをゆっくり出し入れして 音が途中の状態、風を利用した現代的な効果も用いた作品で、いつか演奏会でも取り上げたいと思っています。 先生のレッスンは変わらず情熱的、これだ!という音が出させるまで、nochmal もう一度!もう一度!と何回もやらされます。 でもそこに生まれてくる響きは、どんどん変わる、聴く者の耳に届き訴えかける。こうした音の変貌に驚くことの連続、相変わらずです。 先生の表情もガラリと変わったのにもびっくり。あの頃と少しも変わらない。
受講生の皆様、また聴講なさった皆様にも、現代作品への扉が開けたことと思います。 現代作品のみならず、作品を追求し演奏する、作品から引き出される音楽、それを聴き手の耳に届ける、その 魔法のような技こそ、サットマリー先生の魅力です。 そして昨日は武蔵野文化会館でサットマリー・リサイタル。リゲティ、サットマリー作品を中心とした、現代作品がメインの プログラム、グラフィック(絵画)からの演奏、クラスター奏法、途中モーターを切ったり、これぞサットマリーの世界。 会場は大きな拍手で盛り上がる。そして最後の夜、ホール近くのレストランで先生を囲み楽しい話は尽きることなく0時近くまで、 先生方をホテルまでお送りし、「また会いましょう!」と固い握手とハグで別れを告げ、帰宅したのは日付が変わった深夜1時半。車だったのでノンアルコール、家に戻り サットマリーの音楽で再びエネルギーが注入され、心地よい余韻に浸った私は一人でワインを開け、時計を見ると2時、、眠りにつきました。 演奏会、マスタ―クラス、ご来場くださいました皆様、そして企画のためにご尽力くださいました皆様、 ありがとうございました。
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