+ 第252話


オルガニスト楽屋話

第254話  ドイツ演奏旅行記(その2) ---2023.7.19.

ストラスブールでの滞在を終え、次の演奏会の地、ランツベルクへ。演奏会を控え、緊張した旅は続きます。 ランツベルクはミュンヘン、アウグスブルク、またオーストリアとの国境にも近い南ドイツの街。もちろん訪れるのは初めてです。 ストラスブールから列車での移動、乗り換え3回。 乗り換え時間はタイト、しかも乗継便もそう頻繁にはなく、乗り遅れたらどうしようと心配な中、列車は遅れる。
以前はドイツの列車は定刻に走っていたし、遅れた場合は乗り継ぎの列車が待っていてくれた、、今は全く違います。列車の車高は低くなり、 乗り降りは楽に、しかしながら相変わらず 駅にはエスカレーターやエレベーターがない、エスカレーターも修復中だったり、、階段のみ。プラットホームの一番端に身障者用のエレベーターがあれば、 まだまし。駅の端まで行ってエレベーターを探している時間もないほどのタイトな乗り換え時間。体の大きな人たちがみな大荷物を持って大移動、駅のホームを走り、階段を降り、そして登る。 宅急便も普及していないせいか、それは大変な様です。

乗り換えごとに大仕事、息も絶え絶え、、荷物は2つに分けるべきだったと、後から反省。何とか無事に、目的地ランツベルクに到着。 駅から予約してくださっているホテルまで800メートル、歩けるだろうと思っていたところ、なんと街はレヒ川を渡った高台! ネットで見ていた地図上ではこの高低差は気づかなかった私は、駅からタクシー、正解でした。

わあ、何て素敵な街!!カラフルな綺麗な家が立ち並び、到着した可愛いプチホテルは街の中央にある教会の真ん前。部屋に入り窓を開けると、目の前が教会。 ウキウキするような演奏会へのステイが始まりました。これはリハーサルにも便利。鍵を渡され、「3日間、どうぞご自由に」と。

この音楽祭、夏の間、毎週土曜日に開催されているのですが、後から主催者の方が、「ここで演奏するどんな有名オルガニストも、みなあの部屋ですよ」と。 今年の夏のフェスティヴァルには、ウィーン・マーシャルも演奏、私の大ファン、ウィーン・マーシャルもあのお部屋に泊まるのですね。

オルガンは見たところ、美しい装飾が施されたバロック様式ですが、オルガンはバロックから現代作品まで幅広いレパートリーが弾ける4段鍵盤とペダルの大オルガン。 ストップ仕様、演奏台のデザイン、演奏補助装置、全てにおいて「理想的」なオルガンでした。つまり演奏者にとってもとても弾きやすく、また有難い、完璧なオルガンでした。 響きも良く、リハーサル、本番とこれは最高に楽しく幸せな時間でした。

この街もとても綺麗で、観光客も多く、リハーサル合間、朝方や夕刻、街の散策も楽しみました。

演奏会はここでもスタンディング・オベーションをいただき、沢山のお客様、盛会のうちに終わりました。

演奏会には、車で約1時間のウルムに住む、フライブルク留学時代のフルーティストの友人マルティーナも聴きに来てくれて、何と彼女とは38年ぶりに会いました。 留学時代フライブルクで、一緒に食事をしたり、お茶したり、散歩をしたり、またテュービンゲンにある彼女の実家に泊めていただきご両親にもお世話になり、 彼女のおばさまの金婚式で、スイスの素敵な教会で一緒に演奏したり、とにかく一番仲良くしていた友人でしたが、留学後、そのまま別れてしまい、 いつもどうしているかな〜と思いつつ、どこで何をしているか、一切わからなかった彼女と、今回偶然、友人のFacebook経由で連絡が取れ、「演奏会に行くわ!」 ということになり、再会となりました。

彼女のテラスとお庭の美しいお家で、美味しい手料理を囲み、思い出話にふけた一晩でした。

そして旅の最後は、懐かしきフライブルクへ。ここでの列車移動は最悪でした。2回乗り換えでしたが、列車は遅れ、また階段。 さらには乗り換え列車は1時間半の遅延。日本から座席まで選び(静かな車両、テーブル付き、窓側)購入してきたチケットなど、全く意味なさずです。 結局、別の列車に乗り、予定より1時間遅れ、夜8時半にフライブルク到着。それでも、ここは慣れている街、駅の端にエスカレーターがあることを知っていたし、市電に乗り3駅目。

今回は、典型的なドイツの宿、ガストホーフを選びました。1階にレストランがある、昔ながらのいわゆる旅宿で、カテドラルの裏手で、 大好きなお洒落な道沿いにある、これまで一度 泊まってみたいと思っていた夢も叶いました。

留学してのは20代ですから、あれから39年、、。樹木は大きくなっていますが、街並みは変わらすです。
当時、唯一お魚がお手頃値段で食べれた、マクドナルドの魚版みたいなNord See ノルト・ゼ―もそのまま。友達と行ったカフェやアイスクリーム屋さん、 クリーニング屋さんも変わっていない(ドイツのクリーニングは高いので、利用はしていませんでしたが)、あの頃と同じ。

翌日は一日フリータイム、さあ、何をしよう。思い出の場所を訪ねてみようと、市電一日券を購入。まずは音楽大学。そして2年住んでた学生寮。 当時は新築でしたが、今も同じ佇まい。そしてメルシー通り、ここは留学最初の1年、ロータリアン(ロータリー奨学金をいただいていた関係で)の 屋根裏部屋に泊めていただいたお家がある通り。屋根裏部屋と言っても、充分に広く、また大きな3階建てのお家の最上階ですから、街が見渡せ、とても素敵なお部屋でした。 (写真の最上階、窓が半分開いているお部屋です)

お家の前に行き、懐かしいな、と住まわせていただいたお部屋を見上げていると、丁度そこへ自転車でひとりの女性が帰って来て、 ご挨拶しようかと躊躇していると、「Keiko!」と。驚きました。当時、中学生だった娘さんのルートでした!私の名前も覚えていてくれたのです。
「ご両親はお元気?」「父は亡くなりましたが、母は家に居ますよ」
お世話になったヴァイランド夫人は、リビングルームで静かに本を読みながらティータイムで、「どうぞ、お入りください!」と。 なんと、ここでも全く予期せぬ嬉しい再会がありました。

そして最終日、正確には飛行機に乗る数時間前です、カテドラル前の朝市でボックヴルスト(立ち食いのソーセージ入りパンです)、 そして街で一番美味しかったカフェで、シュヴァルツヴァルト・キルシュトルテ。これはフライブルクを取り巻くシュヴァルツ・ヴァルト名物のケーキですが、 チョコレートのパウンドケーキが柔らかく、お酒のきいたキルシュ(さくらんぼ)にザーネ(生クリーム)、あの頃と変わっていない、絶品でした。 最後の最後まで、ドイツでの時間を楽しみました。

演奏会のために過ごした時間、これは「最高に幸せ」な時間でした。
そして久しぶりの南ドイツ、友人、知人との再会、懐かしい思い出の場所も訪ねることが出来ました。留学時代、こんな日が来るとは予想もしていなかった。幸せな時、ありがとう!!

時には一人でレストランや居酒屋に入り、テラス席でビールとソーセージを注文し、 おじさん風の行動もとったり(笑)、でも食べたいと思ってたものも、全てお腹に入れ、思い出と荷物いっぱいで帰国の途につきました。
帰りのフライブルク-フランクフルト間の列車は、定刻に走り、国際線に乗るのに列車の遅延があっては大変と早めに空港に着いたところへ、 中国上空での軍事演習の影響で飛行機が1時間の遅延、、。今度は早すぎて、空港で5時間待ちになりましたが、ラウンジでシャンパン、そしてビールにブレッチェル、 ランツベルクでの演奏会後の打ち上げがギリシャ料理でしたが、そのほか、ドイツ、フランス(ストラスブール)料理に徹し、飽きることなかった2週間でした。

ロシア上空を飛べないために空路変更、行きは14時間半、帰りは13時間といつもよりフライト時間は長かったし、 コロナ後初めての旅、心配はしたものの、帰国してみると、近い!、また行きたい!今回のドイツ、フランスへの旅でした。

演奏会で訪ねた街はどの街もとても美しく、オルガンの写真と共に写真の ページにアップしましたので合わせてご覧いただけましたら嬉しいです。






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