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以前はドイツの列車は定刻に走っていたし、遅れた場合は乗り継ぎの列車が待っていてくれた、、今は全く違います。列車の車高は低くなり、 乗り降りは楽に、しかしながら相変わらず 駅にはエスカレーターやエレベーターがない、エスカレーターも修復中だったり、、階段のみ。プラットホームの一番端に身障者用のエレベーターがあれば、 まだまし。駅の端まで行ってエレベーターを探している時間もないほどのタイトな乗り換え時間。体の大きな人たちがみな大荷物を持って大移動、駅のホームを走り、階段を降り、そして登る。 宅急便も普及していないせいか、それは大変な様です。 乗り換えごとに大仕事、息も絶え絶え、、荷物は2つに分けるべきだったと、後から反省。何とか無事に、目的地ランツベルクに到着。 駅から予約してくださっているホテルまで800メートル、歩けるだろうと思っていたところ、なんと街はレヒ川を渡った高台! ネットで見ていた地図上ではこの高低差は気づかなかった私は、駅からタクシー、正解でした。 わあ、何て素敵な街!!カラフルな綺麗な家が立ち並び、到着した可愛いプチホテルは街の中央にある教会の真ん前。部屋に入り窓を開けると、目の前が教会。 ウキウキするような演奏会へのステイが始まりました。これはリハーサルにも便利。鍵を渡され、「3日間、どうぞご自由に」と。 この音楽祭、夏の間、毎週土曜日に開催されているのですが、後から主催者の方が、「ここで演奏するどんな有名オルガニストも、みなあの部屋ですよ」と。 今年の夏のフェスティヴァルには、ウィーン・マーシャルも演奏、私の大ファン、ウィーン・マーシャルもあのお部屋に泊まるのですね。
この街もとても綺麗で、観光客も多く、リハーサル合間、朝方や夕刻、街の散策も楽しみました。 演奏会はここでもスタンディング・オベーションをいただき、沢山のお客様、盛会のうちに終わりました。
彼女のテラスとお庭の美しいお家で、美味しい手料理を囲み、思い出話にふけた一晩でした。
今回は、典型的なドイツの宿、ガストホーフを選びました。1階にレストランがある、昔ながらのいわゆる旅宿で、カテドラルの裏手で、 大好きなお洒落な道沿いにある、これまで一度 泊まってみたいと思っていた夢も叶いました。
留学してのは20代ですから、あれから39年、、。樹木は大きくなっていますが、街並みは変わらすです。 翌日は一日フリータイム、さあ、何をしよう。思い出の場所を訪ねてみようと、市電一日券を購入。まずは音楽大学。そして2年住んでた学生寮。 当時は新築でしたが、今も同じ佇まい。そしてメルシー通り、ここは留学最初の1年、ロータリアン(ロータリー奨学金をいただいていた関係で)の 屋根裏部屋に泊めていただいたお家がある通り。屋根裏部屋と言っても、充分に広く、また大きな3階建てのお家の最上階ですから、街が見渡せ、とても素敵なお部屋でした。 (写真の最上階、窓が半分開いているお部屋です)
「ご両親はお元気?」「父は亡くなりましたが、母は家に居ますよ」 お世話になったヴァイランド夫人は、リビングルームで静かに本を読みながらティータイムで、「どうぞ、お入りください!」と。 なんと、ここでも全く予期せぬ嬉しい再会がありました。 そして最終日、正確には飛行機に乗る数時間前です、カテドラル前の朝市でボックヴルスト(立ち食いのソーセージ入りパンです)、 そして街で一番美味しかったカフェで、シュヴァルツヴァルト・キルシュトルテ。これはフライブルクを取り巻くシュヴァルツ・ヴァルト名物のケーキですが、 チョコレートのパウンドケーキが柔らかく、お酒のきいたキルシュ(さくらんぼ)にザーネ(生クリーム)、あの頃と変わっていない、絶品でした。 最後の最後まで、ドイツでの時間を楽しみました。
演奏会のために過ごした時間、これは「最高に幸せ」な時間でした。
時には一人でレストランや居酒屋に入り、テラス席でビールとソーセージを注文し、
おじさん風の行動もとったり(笑)、でも食べたいと思ってたものも、全てお腹に入れ、思い出と荷物いっぱいで帰国の途につきました。 ロシア上空を飛べないために空路変更、行きは14時間半、帰りは13時間といつもよりフライト時間は長かったし、 コロナ後初めての旅、心配はしたものの、帰国してみると、近い!、また行きたい!今回のドイツ、フランスへの旅でした。 演奏会で訪ねた街はどの街もとても美しく、オルガンの写真と共に写真の ページにアップしましたので合わせてご覧いただけましたら嬉しいです。
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