オルガニスト楽屋話

第29話 パリでの演奏会 ---1999.8.21.

パリで開かれる演奏会のため成田を出発したのは8月3日でした。 午後5時シャルル・ド・ゴール空港に到着、タクシーでホテルへ直行。 荷物を置き、まずは日が暮れる前に今回演奏するサン・テュスタッシュ教会 を確認しなければと、私は教会へと出かけました。 16世紀に建てられた大聖堂は流石に歴史の重みを感じさせられる建物で、 後方部に設置されているオルガンは、想像以上に大きいものでした。

さてその翌日から9日の演奏会まで、早朝と深夜の練習の毎日が始まりました。 サン・テュスタッシュ教会はポンピドーセンターやルーブル美術館の近くに位置し、またファッショナブルな 若者でいっぱいのレ・アルにも隣接し、観光客もひっきりなしに入って来ます。 ですから、オルガンを練習できる時間は朝10時以前と夜8時以降に限られているのです。

教会がホテルから歩いて5分の距離にあったことは幸いでしたが、 毎晩眠りに就くのは午前1時すぎ、ちょうど日本時刻の昼でなかなか眠れないのに、 朝は6時半起きと、睡眠不足になりがちでしたが、静寂の中で集中して 練習することができました。練習と言っても、大半の時間はレジストレーション (音色作り)のためと、長い残響に慣れ、響きに合わせた演奏をすること に費やされました。スケールの大きな楽器になればなるほど選択の幅が広がり、 音作りにも時間が必要になるのですが、この楽器は101ストップ、5段鍵盤、 ペダルには2つの32フィートのリード管、手鍵盤にも2つの32フィートと とても大きな楽器でした。 この教会ではオルガンバルコニーにある演奏台の他に、コンサート用として聴衆のすぐ近くで弾けるように もう一つ別の演奏台が用意されています。が、この移動可能な演奏台は、普段は回廊の脇、つまり オルガンの音が直接聞こえず、またオルガンからもかなり離れた所に 置かれていて、つまり私は本番とは少し条件の違うところで練習しなければ なりませんでした。けれども残響が大変長く、その響きに合わせたタッチ、 アーティキュレーション、フレージング、そして演奏を模索するために費やした時間は大変貴重なものでした。

さて、早朝はともかく、深夜の練習はスリリングでした。あの広い大聖堂の中、 オルガンの譜面台を照らす明かり以外何もないのです。ステンドグラスから かすかにもれる外のあかり、そして残った小さなろうそくだけ。 そこへバサバサバサ・・すべての物音に<残響>が加わるのですから、 ご想像ください。何かと思ったら会堂内をハトが飛んでいるのです。 ある晩は雷雨でした。ザーー・・教会の屋根から雨漏りです。 といってもあの高い天井から水が落ちてくるのですから、まるで 滝のよう。そのうちドスーン!どうやら雷が近くに落ちたらしい。その瞬間、 オルガンの電源も切れ、真っ暗闇に・・約10秒で復帰したものの、恐怖の<暗闇>を 経験しました。 ミイラが横たわっていたり、ご遺体の置かれている教会で練習したり、 これまでも色々経験しましたが、今回のサン・テュスタッシュでの怖さも かなりのものでした。

さて本番当日、演奏会は午後8時半という日本の感覚で言うと随分遅い時間 の開演にもかかわらず、この日も練習時間は早朝のみ。 演奏台は前日に<正式に>演奏する位置に動かされたので、その場所での 響き、弾き心地も再チェックしなくてはならないし、眠ってはいられないと朝早くから教会へ。 オルガンの近くへ運ばれた位置での演奏は、より音が聞こえ、弾きやすく一安心。 ホテルに戻り、演奏会までリラックス。夕方は再び雷雨になりましたが、それも間もなく あがりいよいよ開演時間です。演奏台を取り囲むように聴衆が座っています。 ヨーロッパでは大抵オルガンバルコニーで演奏しますし、日本のホールでも こんなに近くに人が座ることは珍しいことで、少し心配したのですが、集中して演奏することが出来ました。

プログラムは、日本人であることを特別意識したわけではないのですが、 自分らしいレパートリーで、また(フランクを除き)普段恐らくパリでは弾かれない音楽をと考え、邦人作品1曲も含めることにしました。 1曲が終る度に拍手が起こり、すぐ近くで聴いている方々の表情が伝わるようでした。 それはとても暖かい雰囲気で、異国の地ということなど一切忘れ、自分の居場所が 感じられるというのでしょうか、また次の曲へと没頭することが出来ました。 プログラムが終り、アンコール。演奏会後、教会の明かりが消されても、 しばらくの間オルガンの回りで、聴いてくださった方々との会話が絶えませんでした。 ふと気がつくと時刻はすでに11時をまわり、それから教会近くのレストランで乾杯! ようやくホッと一息、パリ最後の夜でした。

これまでのヨーロッパ各地での演奏会ともまた違った経験となりました。 以前、テレビの取材で”夢は?”と質問され、『オルガンを弾いて、世界旅行がしたい』と答えていた自分を思い出しました。

パリでの写真

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