オルガニスト楽屋話

第45話 ありがとう、新星日響 ---2001.3.18.

去る3月10日サントリーホールでの第224回新星日響定期演奏会、 そして11日東京芸術劇場での第90回サンフォニック・コンサートに 出演しました。曲目はR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。 ご存知の方も多いと思いますが、新星日響はこの4月から 東フィルと合併することになり、これが最後の定期演奏会、 その最後の曲として演奏されたのが、この作品でした。

曲の冒頭部は映画「2001年宇宙の旅」でよく知られていますが、 全曲を通して是非聴いていただきたい作品です。そこにはドラマがあり、 オーケストレーションも素晴らしく、壮大な世界へと導かれます。 レナルトさん指揮の新星日響の演奏は、魂の込められた、感動的な もので、全ての力がそこに燃焼したように思えました。 オルガンの出番は前半部分だけなので、後半は音楽を聴き入ってしまいました。 曲は盛り上がった後、静寂の中にコントラバスのピッチカートで終るのですが、 その最後の音が終った瞬間、特別な余韻が私の心に響きました。 これは私だけでなく、楽団員、また聴衆にとっても同じであったと思います。

会場から拍手、そしてカーテンコールが何度も続きました。 新星日響を応援してきたファンの方々でしょう、客席には涙を流している方の 姿も見えました。指揮者のレナルトさんにも、そして楽団員にも涙が・・。 最後に全員で一礼をして舞台をおりたのですが、全員の姿が消えても 拍手は鳴り止まないという異例の状態になりました。楽屋のモニターテレビを 見ると、立ち上がって いつまでもいつまでも拍手を送る人々の姿が映っていました。

振り返ってみると、私も新星日響の演奏会に数多く出演させていただきました。 サンサーンス、シュトラウス、レスピーギなど、オケ中での演奏はじめ、 忘れられないのは「創立20周年記念演奏会」で委嘱された 一柳 慧先生の<Existence for Organ and Orchestra>を初演、また 演奏会の中で、ソロのオルガン曲を弾く機会も度々ありました。 サントリーホールや東京芸術劇場を中心に、「オルガンとオーケストラ」の企画を 沢山つくり、積極的にオルガンをとり上げたのも新星日響でした。何年か続いた 「クリスマスコンサート」も楽しい思い出です。最近、流行っている(?) 「第九とオルガン」「オルガンとオーケストラの○○」・・こうした 企画の先駆者は新星日響だったと思います。

定期演奏会開演前の15分間、オルガンによる“ウェイティング・コンサート”も 始まりました。1989年頃のことです。 限られた所で、限られた人にしか聴かれなかったオルガンを、 オーケストラの聴衆にも紹介することが出来たと思います。普段は 演奏を近くでは見られないためか、演奏台のまわりに沢山の人が集まったこともありました。

また当時の私にとって、サントリーホールのオルガンのような大きな楽器を 弾ける機会は貴重で、ありがたいことでした。 ドイツから帰国後、何のキャリアもない駆け出しの私でしたが、 こうした機会をステップに、色んなチャンスに巡り合うことになりました。 その後、会員数も増え、定期演奏会も2公演になり、東京芸術劇場での 公演も加わりました。12年という歳月が流れたとは、感慨深いものです。

事務所の方々は大変優しく親切、また楽団員もみな若さとエネルギーに 満ち溢れ、意欲的でした。そして彼らを応援する暖かいファンがいることも 知っています。新星日響の名前が消えてしまうことはとても残念なことですが、 私の心に、いつまでもその響きを留めておきたいと思います。

あと残された一公演、3月26日の「ファイナル・コンサート」では、 新星日響、そして応援してくださった方々に、言い尽くせない感謝を込めて 演奏したいと思っています。ありがとう、新星日響!

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