オルガニスト楽屋話

第50話 思い出の街、フライブルク ---2001.9.24.

演奏会の後、フライベルク、ドレスデン、そしてバッハゆかりの地、 ライプチヒ、エアフルト、アイゼナッハを訪ね ( Photos のページ に写真をアップしました)、 その後、3年過ごしたフライブルクへ。 この間は、列車の一人旅でした。 夏のバカンスの季節とあって混雑する中、体の大きなドイツ人が、 体型相応の荷物を持ち込むのですから、通路は乗り降りの人で大混乱。 宅急便が発達していている日本では、見られない光景です。 旅の途中で買い込んだ本やポスターで、どっしり重くなったスーツケース。 その置き場を確保した私は席に着き、ほっとしたかと思うと、 ピピッ、ピピッ・・それは聞き覚えのある電子音。私の目覚し時計では ありませんか。荷物はぎっしりで手の届くところにあるわけないし、 ここで荷物を開ける訳にはいかない。駅に停まるとさらに大きく聞こえ、 どこかへ隠れたい気分。回りを気にしながら待つことしばらく。そのうち 鳴り止み、やれやれ。

さて、フライブルクに到着。駅は新しくモダンになり、駅前には コンサートホールが建ち、様子は変わっていたものの、やはり ここはフライブルク。街の中へ歩いてみるとミュンスター(大聖堂)の鐘が聞こえ、 懐かしい思い出がよみがえってきました。しばらく留守をしている間に、 コンビニや100円パーキングができてしまう日本に比べれば、町並みは ほとんど変わっていません。

久しぶりのフライブルク、今回は特別予定もなかったので、思い出の 場所を訪ねてみることにしました。まずは1年間住んでいた 小高い丘の上のお医者様の家。私はその屋根裏部屋に住んでいました。 その後2年間過ごした学生寮。レッスン、そして卒業試験を受けた 音楽大学、毎週決まって練習に出かけた教会、鍵を借りた牧師館、 オルガンバルコニーに上る入り口の扉、すべてに思い出があります。
コンサートを聴いたミュンスター、友達と出かけたレストランやカフェ、 いつも利用していたバス停やスーパーマーケット。雪の降る寒い季節もありました。 色々なシーンがよみがえってきます。ふと街角で友達に会うような、 そんな錯覚さえしました。

ここで過ごした3年間は、ダイヤモンドのように輝いた月日でした。 サットマリーの演奏に魅せられ、この街を訪れたのですが、 充実した時間を過ごせたのも、目標があったからこそと、 またあらためて思うのでした。学ばなければならないことの 多さを感じながら、ただただオルガンに没頭し、夢中になって 過ごした日々。
素晴らしい先生がいて、きれいなオルガンがあり、 毎日思う存分練習できて、それは恵まれた環境でした。 若いエネルギーと情熱を、思いっきり傾けられた月日でした。 人生には“時”があると思うけれども、あの時にこうした時間を 過ごしたことは、私のその後の生き方そのものも 変えてくれたと思うのです。

一学生としてあの街に住み、いろいろな方に親切にして いただきました。 お世話になった方々と再会を喜び、街を 見渡せるレストランでこの地方のワインを飲みながら食事をしたり、 カフェでケーキを食べたり、懐かしい学生時代を振り返りながら 思いでの地で過ごした2日間でした。


写真左)ドイツ留学時代の私 
写真右上)練習にかよった教会 
写真右下)下宿の部屋で

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